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慶應通信在学中に私が心掛けていたこと

 慶應通信在学中に私が心掛けていたことは、8つあります。

 第1は、批判精神を持つ(他人の言うことを鵜呑みにしない)ことです。

例えば、他人から勉強方法等を教えて貰うと、それを鵜呑みにしてしまう人をよく見かけますが、他人が教えてくれる勉強方法と言うのは、教えてくれる人にとっては最適な方法かもしれませんが、それが、必ずしも、自分にとって最適な方法だとは限りません。

その為、実施する前に、必ず、本当に自分にあった方法かどうかを、熟慮することが大事です。

従って、ここに書かれている内容についても、批判精神を持って読むようにして下さい。

 第2は、目的意識の明確化です。

これは、何の為に、慶應通信をやるのかということで、私の場合は、「高卒は嫌」と言う学歴コンプレックスがあった為、卒業することだけが唯一の目的でした。

 第3は、「敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)」ということです。

これは、目的を達成する為には、敵(慶應通信)と己(自分の長所、短所、性格、能力等)に関する情報を正確に分析し、目的を達成する為の手段を考えることが大事であり、そうすることで、確実に、目的を達成することが出来ます。

例えば、私の場合は、卒業すると言う目的を達成する為に、知識を身に付ける為の勉強方法ではなく、単位取得目的の為の試験対策に特化した勉強方法を用いました。

 第4は、コンプレックスを上手く利用することです。

コンプレックスは、世間一般的には、悪いイメージとして捉えられることが、多いのですが、私は、そうは思いません。

それどころか寧ろ、私は、コンプレックスは、無いよりは、有った方がいいと思っています。

それは、コンプレックスは、現状に満足出来ないという感情であり、それが大きければ大きいほど、現状から抜け出したいという原動力になるからです。

例えば、私は、飽きっぽい性格なので、しばしば、意図的に、自分自身が持っているコンプレックスを強調することで、やる気を維持して来ました。

 第5は、マイナス思考を上手く利用することです。

コンプレックス同様、マイナス思考も世間一般的には、悪いイメージとして捉えられることが、多いのですが、私は、そうは思いません。

私は、マイナス思考も、コンプレックス同様、無いよりは、有った方がいいと思っています。

それは、マイナス思考は、トラウマの回復には必要不可欠であり、自分自身に対する戒めにもなるからです。

例えば、試験の出来が悪い時等は、落ち込むことが多いですが、そんな時に、無理に強がってプラス思考をすると、自分の本心を偽ることになり、精神的にかなりきついことがあります。

しかし、マイナス思考だったら、落ち込んでいる気持そのものなので、精神的にはきつくなく、そのような気持を素直に表現することで、気持の整理がつき易くなり、トラウマの回復に役立つことになります。

また、私は、基本的には、怠け者で、自分自身の能力を過信し、油断してしまうと、勉強等を一切しなくなるので、時々、意図的に、マイナス思考をすることで、自分自身に対する戒めとし、自分自身の能力を過小評価した上での、試験対策等をして来ました。

 第6は、自己肯定感(自分が好きという思いや自分に自信を持つこと等)を強くすることです。

これは、これまで述べて来た、コンプレックスやマイナス思考を上手く利用して、良い結果を出す為には、必要不可欠なことです。

その為、コンプレックスやマイナス思考を利用したメンタルコントロール方法は、自己否定感(自分が嫌いという思いや自分に自信が持てない等)が強い人には、不向きであり、場合によっては、自己否定感をより強くするという逆効果が生じる恐れがあるので、要注意です。

では、この自己肯定感を強くするにはどうしたらいいかというと、成功体験を積み重ねることです。

人間は、成功体験を積み重ねることによって、自分に自信を持つことが出来、自己肯定感を強くすることが出来ます。

 第7は、優先順位をつけることです。

慶應通信在学中に、避けては通れないのが、慶應通信と慶應通信以外のこと(お金、仕事、その他)の優先順位をどうするかと言う問題です。

私の場合は、慶應通信第一主義だったので、慶應通信以外のことを犠牲にすることに関しては、あまり悩むことは無かったのですが、お金の遣り繰りに関しては、非常に苦労しました。

そこで、私が、利用したのが、生命保険会社の契約者貸付金制度で、この制度は、生命保険や年金保険等の契約者に対して、解約払戻金の範囲内で、生命保険会社がお金を低金利で貸してくれる制度です。

この制度のいい所は、第三者からの借金とは、違い、借入金の返済は、随意であり、最悪、お金が返せない場合は、保険契約が解約になるだけなので、お金が返せなくても、借金地獄に陥る危険性が無いことです。

その代わり、多少、人生設計に変更が生じることがあるので、この制度を利用する時は、その点も考慮しておく必要があります。

 第8は、継続は力なりです。

これは、当り前と言えば、当り前のことですが、慶應通信は、途中で諦めずに続けてさえいれば、いつか必ず卒業出来るので、最後まで、諦めないことが大事です。

以上

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卒論要約3(注釈11~19)

これは、卒論要約1(本文)の注釈11~19です。

【※11】 
 権利性が曖昧な制度とは、意見陳述制度や被害者参加制度の運用は、裁判長や裁判所の裁量に任せられており、色々な制限があり、犯罪被害者等に明確に認められた権利ではないということである。
     
【補足】
 他方、米国のVIS(被害者衝撃供述:日本の意見陳述制度みたいなもの)やVSO(被害者意見供述:日本の被害者参加制度みたいなもの)の運用に関しては、州ごとに違いがあるが、基本的には、連邦レベルでは、被害者の権利明確化法、州レベルでは、各州の被害者権利章典によって、VISやVSOの運用は、犯罪被害者等に明確に認められた権利とされている。

【※12】
 従来の刑事訴訟制度観では、国家訴追主義(国家が訴追権を独占する)制度下では、巨大な国家権力対か弱い被告人という構図になり易い為、巨大な国家権力から、どのようにしたら被告人の権利を守ることが出来るか、ということのみが重視されて来た。

その結果、永年に渡り、刑事手続きの場から犯罪被害者等は、疎外され、苦しんで来た。
    
【※13】 
 量刑手続き参加制度の意義については、次のように解釈すべきである。

第1に、犯罪被害者等に意見陳述の機会を与えることで、裁判が犯罪被害者等の意見を踏まえて為されることを明確にし、刑事司法に対する信頼を確保すること。

第2に、被害者感情の緩和を図ること。

第3に、被告人の反省を深め、その改善更生に資すること。

第4に、犯罪被害者等の刑事手続きからの疎外を防止し、犯罪被害者等を人間として尊重することである。

 また、これらの意義を踏まえた上で、量刑判断時に量刑と犯罪被害者等の意思の合致ではなく、犯罪被害者等の意見を量刑資料として合理的に評価することを目的とする「資料の充実による量刑の合理化」を目指すということである。

 要するに、量刑に被害者感情を無制限に反映すると言う意味ではなく、一定の範囲内で、従来よりも、積極かつ適切に、量刑に被害者感情を反映するということである。

【※14】
 刑事司法の目的としては、通説や判例は、公益や被告人の基本的人権の保障の為であり、犯罪被害者等の基本的人権は含まれないという考えであるが、私は、犯罪被害者等も含まれると解釈している。
    
【補足】
 『犯罪の捜査及び検察官の公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図る為になされるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、この理は、たとえ、犯罪捜査の端緒が一般国民の告訴によるものである場合でも同様である。・・・なお、告訴をした国民が捜査機関の捜査又は検察官の公訴提起によって精神的安堵感ないし期待感の満足を得られることがあるとしても、それらは捜査機関の職権発動によって反射的にもたらされる事実上の利益であるにすぎず、法律上保護された利益ではないというべきである。』損害賠償請求事件(平成15ワ1541)に対する神戸地裁判決(平成16年4月22日)←通説や判例の考え方

 しかし、犯罪被害者等基本法(平成17年4月1日)施行後の最高裁判例を見ると、犯罪被害者等の権利解釈を巡っては、興味深い動きがある。

損害賠償請求事件{平成16(受)2030}に対する最高裁第一小法定判決(平成17年4月21日)の、多数意見は、依然として、犯罪被害者等の権利を認めないという考え方であるが、唯一、泉徳治裁判官だけは、次の様な反対意見を述べている。

『・・・犯罪の被害者は、個人の尊厳が重んじられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される人格的権利を有するものであって、刑事手続きにおける告訴権も、人格的権利の一部をなすものということができる。被害者がその所有に係る証拠物を捜査機関に提出するのは・・・告訴権の行使の一内容、あるいは告訴権に類似する人格的権利の行使ということができ、当該証拠物が捜査機関において捜査のために有効に活用され、捜査上必要である限りに適正に保管されることの利益は、単に所有権の一部を構成するにとどまらず、上記の人格的権利に由来し、法的に保護された利益というべきである。・・・』

【※15】
 従来の刑罰理論(応報刑論、目的刑論、相対的応報刑論)は、基本的には、加害者や公益に注目したものである為、量刑手続きに犯罪被害者等が積極的に関与することに原理的な理由を提供することが出来ず、これらの刑罰理論は、犯罪被害者等を疎外する考え方なので、支持出来ない。

 また、最近は、修復的司法という刑罰理論もあるが、この考え方に基づけば、量刑手続きに犯罪被害者等が積極的に関与することに原理的な理由を提供することは、出来るが、この考え方にも色々な限界があり、何よりも加害者の社会復帰を最終目的にしている点で、死刑制度とは矛盾を生じる為、支持出来ない。
  
 故に、今後の刑罰理論としては、ローチ教授の懲罰的被害者権利モデルが望ましい。

このモデルに基づけば、犯罪被害者等の権利保護を重視し、刑事制裁に重点を置いている為、死刑制度との矛盾も生じない。

【※16】 
 裁判員が恣意的な量刑をする可能性は非常に高い。

例えば、米国では、ジュリーナリフィケーション(陪審による法の無視)の問題がしばしば起きており、陪審員が、被告人に必要以上に同情し、本当は有罪なのに、無罪にすることがある。

また、O・Jシンプソン裁判では、陪審員が、弁護側の訴訟戦略(殺人事件ではなく、人種差別事件にすりかえるという手法)にまんまと載せられて、殺人事件の裁判をするという意識よりも、人種差別に対する嫌悪感が勝った結果、無罪判決を下したということもあった。

【※17】
 裁判官は、従来から、証人尋問等で、不十分ながらも被害者感情に接する機会があり、死刑判決時にも、不十分ながらも被害者感情を考慮してきた為、被害者感情に対する免疫がある。

従って、意見陳述制度によって、裁判官が恣意的な量刑をする可能性は低い。

【※18】
 非刑罰的施策とは、心の支援や経済的支援のこと。

【※19】
 非刑罰的施策と刑事司法との連携とは、心の支援と言う観点から言えば、意見陳述制度、被害者参加制度、死刑執行時の遺族の立会いを認める等、経済的支援という観点から言えば、犯罪被害者給付金制度、損害賠償命令制度等のことである。

以上

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以上

卒論要約2(注釈1~10)

これは、卒論要約1(本文)の注釈1~10です。

【※1】
 恣意的な量刑とは、差別や偏見、激情等の不適切で気まぐれな理由に基づいて行われる量刑のことである。

 例えば、黒人である(差別感情)、前科者だから更生は出来ない(偏見)、あいつはけしからん(激情)、というような理由等で死刑にすること。
    
【補足】
 本来、恣意的な量刑とは、罪刑法定主義{慣習刑法の排除、刑法の不遡及、類推解釈の禁止、絶対的不定期刑の禁止、刑罰法規の明確性の原則、刑罰法規の内容の適正の原則(デュープロセスの理論)}に反する量刑のことである。

 しかし、本稿において取扱う問題は、この中でも特に、刑罰法規の内容の適正の原則(刑罰法規は、処罰する合理的な根拠のある行為のみを処罰の対象にするということと、罪刑均衡の原則)に関するものである為、このことに反する量刑という意味で、恣意的な量刑という表現を用いることにする。
    
【※2】
 被害者感情の多様性の例としては、死刑を望む遺族もいれば、望まない遺族もいる。
 また、遺族が死刑を望む理由も、復讐心だけてはなく、closure(悲劇に終止符を打つ為)、加害者が生きていることによる再犯の恐怖から逃れる為等、様々である。

【※3】
 心の支援とは、自助グループ、カウンセリング、医療行為、遺族の話し相手になること、遺族に自分自身の心情を吐露する場所を与える、遺族の思いを尊重する等、遺族のトラウマの回復に繋がるような精神的な面でのサポートのことである。

【※4】 
 経済的支援とは、損害賠償命令制度、犯罪被害者給付金制度、ドイツの白い環等、遺族のトラウマの回復に繋がるような経済的な面でのサポートのことである。

 損害賠償命令制度とは、加害者に対して、損害賠償をするように裁判所が命令する制度、犯罪被害者給付金制度とは、犯罪被害者に対して国がお金を給付する制度、ドイツの白い環とは、民間団体が募金を集め、その募金を、犯罪被害者の経済的支援に用いること。

【補足】
 最初に、損害賠償命令制度について説明する。

 日本の損害賠償命令制度は、附帯私訴や英米型の刑罰としての損害賠償命令とは、違い、日本独自のものであり、刑罰ではなく、民事上の賠償金の支払いを命じる制度である。

その為、英米型の損害賠償命令制度では、賠償金額は、加害者の資力に応じて決められるので、加害者が貧乏な場合は、人を殺しても数十万円程度しか、支払いが命じられないことがある。

一方、日本の損害賠償命令制度では、賠償金額は、被害者が被った損害額(逸失利益や慰謝料)を具体的に清算して算出されることになる。

 また、附帯私訴とは、刑事訴訟手続きに附帯して民事請求を行う訴訟手続きのことである。

即ち、犯罪被害者ないし、その遺族等が、刑事訴訟手続きの中で犯罪行為から生じた民事上の請求(損害賠償だけではなく、一定の作為行為ないし、不作為による請求を含む)を行い、刑事訴訟の中で被告人その他の民事有責者に対する民事請求についての審理、判断を行う場合等である。

尚、附帯私訴が、刑事裁判と同時に審理を行うのに対し、日本の損害賠償命令制度は、刑事裁判終結後に審理を行う為、厳密に言うと附帯私訴とも違う。

 次に、犯罪被害者給付金制度について説明する。

 犯罪被害者給付金の最高額を約2倍に引き上げ、自賠責並にすること等の推進が、決定した。

 最後に、ドイツの白い環については、日本版の白い環とも言える『社会の連帯共助の精神に基づき、
民間の浄財による基金において、一定の指針の元に、給付を行うような仕組み』が現在検討されている。

【※5】 
 2次被害とは、犯罪の被害者や遺族等が、警察官、裁判関係者、近隣住民、マスコミ等の心無い言動等によって、精神的に傷付けられることである。

【補足】
 犯罪によって直接受ける被害を1次被害、2次被害がより深刻化し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や引篭り、ノイローゼ等になった状態を3次被害と言い、このように、犯罪により、被害者や遺族が受ける被害の構造を被害者化という。

 また、PTSDのパターンには、再体験(フラッシュバック等)、回避(現実逃避等)、覚醒(睡眠障害等)の3種類があり、これらの状態のうちいずれか一つの状態が、1ヶ月以上継続し、社会生活を送る上で何らかの機能低下を伴う場合をPTSDと呼ぶ。

【※6】
 司法関係者によって死刑制度が恣意的に運用される事で生じる被害とは、裁判の場を死刑廃止論の根拠として利用しようとする訴訟戦略や、米国における政治的理由に基づく死刑制度の運用等で、このようなことによって、遺族が、司法制度に絶望し、傷付けられることである。

 尚、日本の場合は、米国のように露骨に政治的理由に基づく死刑制度の運用等がなされたケースはないが、造船疑獄事件における検察側の対応や、最高裁長官や最高裁判事の任命過程、下級裁判所裁判官が盲目的に最高裁判例に迎合する風潮等を考慮すると、政治的理由に基づく死刑制度の運用等が起きる危険性がある。

【補足】
 前者の例としては、山口光母子殺害事件の大弁護団が採った一連の訴訟戦略や、フランスのパトリックアンリ事件で、ロベール・バダンテールが採った、被告人個人を弁護するというよりは、陪審員に対し、「あなたがたは、この人を殺すのですか」という、被告人の罪や罰を明らかにするという裁判本来の目的から逸脱し、原則としての死刑廃止論を展開するという訴訟戦略がある。

 後者の例としては、米国では、裁判官や検察官は、選挙によって選ばれる為、世論に迎合した判決がされやすく、世論が厳罰化傾向にある時は、死刑判決を避けると、選挙で落選し、失職したり、政治家に転身する場合にも、マイナスイメージになる。

特に、O・Jシンプソン裁判で、検察側が死刑を求刑しなかった理由は、将来、政界入りを狙っていた検事であるガーセッチが、国民的スターであるO・Jシンプソンに死刑を求刑すると、自分の将来にマイナスになることを恐れた為という指摘がある。

このような政治的背景がある為、米国では、裁判官が、死刑判決を下すのに都合がいいように、死刑に反対する遺族の証言を制限したり、死刑を求める検察官が、死刑に反対する遺族に対して、補償金面での差別をしたり、補償金を貰う為に、遺族に沈黙を強いることもある。

【※7】 
 通常の2次被害対策は、国民全般に対する遺族に対する理解の推進、マスコミの節度ある取材態度、司法関係者の遺族に対する配慮(当事者が納得する裁判、被害者と共に泣く検察、hired gun論ではなく、遺族に対する配慮をした上での弁護活動)等である。

【補足】
 hired gun論とは、弁護人は、依頼人の利益を守る為には、手段を選ばなくてもよいとする考え方で、この考え方は、特に、米国の弁護士に多い考え方である。

この考え方に基づけば、弁護人にとっての真実とは、実体的真実ではなく、依頼人の望むことのみが真実であり、例えそれが、偽証であっても、それに基づいて弁護することが正しいことされる。

従って、この考え方の弁護人からすれば、依頼人が、押入れにドラエモンがいたと言えば、それが真実であり、それに基づいて弁護するのは、正しいことになる。

【※8】
 それらの対策とは、司法関係者が死刑制度を恣意的に運用しないようにする為に、司法制度改革をすることである。

例えば、裁判官が政治的な影響等を受けるのを防ぐ為に、裁判官の任命手続きの透明化や合理化等が必要である。

【補足】
 尚、これらの詳細については、司法制度改革審議会「Ⅲ司法制度を支える法曹の在り方」『司法制度改革審議会意見書―21世紀の日本を支える司法制度―』(首相官邸HP)や「裁判官の新しい人事評価制度について」『公表資料』(裁判所HP)参照。

【※9】 
 死刑制度が無ければ、死刑を望まない遺族は、喜ぶかもしれないが、死刑を望む遺族にとっては、死刑を望む気持を、無理やり押さえ込むことになるので、トラウマの回復には繋がらないことになる。

 他方、死刑制度があり、その死刑制度が、被害者感情を適切に反映するものであれば、死刑を望むか、望まないかという、遺族の主体性や自己決定能力を尊重することになるので、死刑制度がある方が、トラウマの回復に繋がることになる。

【※10】 
 日本の犯罪被害者等の量刑手続参加制度には、意見陳述制度と被害者参加制度の2種類がある。

前者は、犯罪被害者等が被害に関する心情その他の被告事件に関する意見を陳述すること等が出来る制度で、後者は、犯罪被害者等が、裁判に参加することや、事実又は法律の適用(量刑等)についての意見を陳述すること等が出来る制度である。

尚、何れの陳述も証拠とすることは出来ない。

卒論要約3に続く。

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以上

卒論要約1(本文)


 以前、記事(http://blogs.yahoo.co.jp/denkijyuku1yj/6248414.html)の中で、『無事卒業できたら、卒論の題名と要約を公開したいと思います。』と、約束しておきながら、何かと慌しくて、その約束が果たせないまま、気付いたら、慶應通信を卒業してから、早や、半年近くが経過してしまいました。

というわけで、今更ですが、やっと、暇になったので、今回は、その約束を果たすことにします。


【論文題目】 「死刑制度についての一考察 ―被害者関連の問題を中心に―」


【結論】

 従来の死刑制度の在り方では、被害者感情に対する配慮が足りない為、遺族のトラウマの回復には繋がらなかった。

 従って、今後は、今まで以上に、被害者感情に配慮し、遺族のトラウマの回復に繋がるような死刑制度にすべきである。
 
 故に、今後の死刑制度の在り方としては、死刑制度だけあればよいという単体的な考え方ではなく、遺族のトラウマの回復に繋がるような死刑制度の在り方{刑罰(被害者感情と加害者の人権の調和という一定範囲内で、被害者感情を刑罰に反映する)+非刑罰的施策の充実+非刑罰的施策と刑事司法との連携}という、複合体的な在り方が望ましい。

【要約】

 本稿では、死刑制度に関する被害者感情の問題を中心に、前編①死刑制度が被害者感情に与える影響(死刑制度は、トラウマの回復に繋がるか否か)という、被害者感情から死刑制度を見た場合の問題と、後編②被害者感情が死刑制度に与える影響(被害者感情は、死刑制度に恣意的な量刑(※1)をもたらすものなのか否か)という、死刑制度から被害者感情を見た場合の問題という、被害者感情と死刑制度との関係を双方向で検討する事で、今後の死刑制度の在り方を考察した。

 前編では、第1に、被害者感情には、多様性(※2)や可変性があり、心の支援(※3)や経済的支援(※4)が必要である。

第2に、死刑に繋がる事件の遺族が受ける2次被害(※5)は、通常の2次被害だけではなく、司法関係者によって死刑制度が恣意的に運用される事で生じる被害(※6)もあり、通常の2次被害対策(※7)だけではなく、それらの対策(※8)も必要である。

第3に、遺族のトラウマ回復には、遺族の主体性や自己決定能力の尊重が重要であるが、その観点(※9)から死刑制度が必要である事、等が明らかになった。

 後編では、第1に、日本の犯罪被害者等の量刑手続参加制度(※10)は、犯罪被害者等の権利性が曖昧な制度(裁判所側主導)である(※11)。

第2に、これらの制度は、従来の刑事訴訟制度観(※12)では対応出来ないものなので、犯罪被害者等の量刑手続参加制度の意義(※13)、刑事司法の目的(※14)、刑罰理論の見直し(※15)が必要である。

第3に、意見陳述制度によって裁判員が恣意的な量刑をする可能性は高い(※16)が、裁判官が恣意的な量刑をする可能性は低い(※17)為、意見陳述制度や裁判員制度が適切に運用されれば、被害者感情が、死刑制度に恣意的な量刑をもたらす事にはならないと言う事、等が明らかになった。

 故に、今後の死刑制度の在り方としては、遺族のトラウマの回復に繋がるような死刑制度の在り方{刑罰(被害者感情と加害者の人権の調和という一定範囲内で、被害者感情を刑罰に反映する)+非刑罰的施策(※18)の充実+非刑罰的施策と刑事司法との連携(※19)}が望ましい。

※注釈1~19については、字数の関係で、別記事にして、TBしてあるので、そちらを参照してください。

以上

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以上


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